「縄文意識」とは、己が生業に全力で勤しみ、無我や没自然の境地となって真の自己を解き放ち、あるがままの姿で自由に生き切っていく意識のこと。=0意識(私=0=∞)=ゼロ・ポイント・フィールド。
吉川さん:かつて私は沖縄に行ったとき、そこで一番神聖な場所、久高島の御嶽を訪ねて、強烈にうたれた。そこは神の天降る聖所だが、森の中のわずかな空地に、なんでもない、ただの石ころが三つ四つ、落葉に埋もれてころがっているだけだ。私は、これこそわれわれの文化の原型だと、衝撃的にさとった。
この意味は『忘れられた日本―沖縄文化論』(中央公論社)に詳しく書いた。ここで繰り返す必要はないと思うが、そのなんにもなさ、無いということのキヨラカさにふれて、言いようのない生命感が瞬間に私のうちによみがえったのだ。
逆に、物として、重みとして残ることはわれわれ日本人にとって、一種の不潔さ、穢れのようなものではないか、ということさえ。それはかつて縄文土器をはじめて見たときに覚えたなまなましい感動と、一見裏がえしのようだが、なにか同質の、いわば生命の共感ともいうべきものだった。不思議である。
(イヌクシュクの神秘「Ⅰ『無い』ことへのひろがり」(岡本太郎『美の呪力』)より)
そして三つ目は、太郎が広島の爆心地に至高の芸術(=呪術)である何も無い空なる空間(=ゼロポイント・フィールド)の敷設を次のように提案し、時空を超えてそのすさまじいエネルギーが追体験できることを主張していることです。
誇らしい、猛烈なエネルギーの爆発。夢幻のような美しさ。だがその時、逆に、同じ力でその直下に、不幸と屈辱が真黒くえぐられた。誇りと悲惨の極限的表情だ。
あの瞬間は、象徴としてわれわれの肉体のうちにヤキツイている。過去の事件としてではなく、純粋に、激しく、あの瞬間はわれわれの中に爆発しつづけている。瞬間が爆発しているのである。
原爆が美しく、残酷なら、それに対応し、のりこえて新たに切りひらく運命、そのエネルギーはそれだけ猛烈で、新鮮でなければならない。でなければ原爆はただ災難だった、落とされっぱなし、ということになってしまう。その点でわれわれ日本人は広島を直視しなければならないのだ。(略)
傷害を受けた人だけが被爆者なのだろうか。この原爆の事実から、われわれの運命の大きな部分が出発している。つまりわれわれ自身が被爆者なのだ。それなのに、他人事のようにケロッとして見物側にまわっている。
キノコ雲も見なかったし、火傷もしなかった、そして現在、生活をたくましくうち出し、新しい日本の現実を作りあげる情熱と力をもった日本人、その生きる意志の中にこそ、あの瞬間が爆発しつづけなければならないのだ。
広島は舞台であり、そこでみんなが原爆の名で躍る。異様なコメディー。 この象徴的な土地に、碑や祭壇なんかもうけて、拝んだり、記念したりするから問題がズレるのだ。
私なら、爆心地に、何もない、空の空間を作る。作るべきだ。……たとえば白砂だけの、なんにもないひろがり。それはあの瞬間に、ごっそり、えぐりとられた象徴でもある。そしてあの爆発とは何かを、空に向って一人一人が問い、考え、自分自身を再認識する場所にするのである。
(瞬間「瞬間と爆発」(岡本太郎の宇宙Ⅰ『対極と爆発』所収))
以上のことから、北斎と太郎の芸術表現に共通する姿―〝縄文意識〞の有する凄まじいエネルギーをいかに絵画やモニュメントで創出するか、接する者に「装飾性を超えてデモーニッシュな緊迫感を与え、超自然的なセンセーションへと導く力を内在しているかどうか?」に肉迫し、強烈に追求し続ける―がおのずと浮かび上がって見えてくるのではないでしょうか。(引用文中の波線は編集部による)
(次号に続く)
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吉川 竜実さんプロフィール
神宮参事・博士(文学)
皇學館大学大学院博士前期課程修了後、平成元(1989)年、伊勢神宮に奉職。
平成2(1990)年、即位礼および大嘗祭後の天皇(現上皇)陛下神宮御親謁の儀、平成5(1993)年第61回式年遷宮、平成25(2013)年第62回式年遷宮、平成31(2019)年、御退位につき天皇(現上皇)陛下神宮御親謁の儀、令和元(2019)年、即位礼及び大嘗祭後の天皇(今上)陛下神宮御親謁の儀に奉仕。平成11(1999)年第1回・平成28(2016)年第3回神宮大宮司学術奨励賞、平成29(2017)年、神道文化賞受賞。
通称“さくらばあちゃん”として活躍されていたが、現役神職として初めて実名で神道を書籍(『神道ことはじめ』)で伝える。