「縄文意識」とは、己が生業に全力で勤しみ、無我や没自然の境地となって真の自己を解き放ち、あるがままの姿で自由に生き切っていく意識のこと。=0意識(私=0=∞)=ゼロ・ポイント・フィールド。ただしコトの成就や調和は神や仏、自然や宇宙に任せる。

吉川さん:次に神道的知見から『隅田川怒濤図』「男浪」・「女浪」を検証することにします。この二図が表現する二つの渦巻き螺旋文様から、すぐに連想されるのは日本神話の国生み神話ではないでしょうか。
すなわちイザナギノミコトとイザナミノミコトは天の御柱を廻り逢って婚姻なされて大八島国を生成されますが、その御柱の廻り方を『古事記』上巻では次のように記されています。
「汝は右より廻り逢へ、我は左より廻り逢はむ」と詔りたまひ、約り竟へて廻る時、……
【大意】イザナギノミコトはイザナミノミコトに「あなたは右より御柱を行き廻ることとし、私は左より御柱を行き廻ることとして、無事に出会いましょう」と告げられました。そして約束通りに御柱を廻り終えられ出会われた際に……
この記載よりイザナギノミコト(男性神)は左回転(反時計廻り)をされ、イザナミノミコト(女性神)は右回転(時計廻り)をされて御柱を廻られたことが窺われます。この神話に記載された内容はおそらくそのまま北斎の『隅田川怒濤図』にも適用することが可能と見られます。
つまり同図「男浪」の渦巻き螺旋文様はイザナギノミコトと同じ廻り方《左回転》として記述されており、一方の「女浪」の渦巻き螺旋文様はイザナミノミコトの廻り方であった《右回転》として記載されています。
日本神話でもモノが生み出されるにあたって回転によってもたらされる渦の力(=スピンエネルギー)が使われたことを窺知できますが、神道の源流としての縄文文化の叡智であるテクノロジーの一端を垣間見る想いがするのは筆者だけでしょうか。
それから東町屋台天井絵製作の直前にあたる天保13年(1842・北斎83歳)9月から翌14年12月まで、北斎は日課として『日新除魔』という「唐獅子の図」を描き続けており、この日課に励んだ理由を、これまでは長女の放蕩息子(孫)という悪魔を祓うために求められてきました(飯島虚心著『葛飾北斎伝』に依拠)。しかし荒井氏はこれに疑問を呈し、再検討されて次のような新説を発表されています。
葛飾北斎の身にふりかかった直前の事件に対し、『獅子の図』の日課を葛飾北斎が始めたと考えるのが自然であろう。『獅子の図』の日課が始まったのは天保十三年の九月のこと。
この二カ月前の天保十三年七月に、親友の柳亭種彦が亡くなっている。葛飾北斎の持っていた品物が原因で、幕府の取調べを受け亡くなったと考えられる。この柳亭種彦の姿をみて、葛飾北斎は江戸から逃げ出して小布施へやってきた。
「権力の前から逃げ、親友を裏切った」という反省が、葛飾北斎の心の中に生じてきた。自分の心の中に一匹の悪魔が住んでいて、それが親友を裏切らせた。その悪魔を心の中から追い出すために、獅子の図を描くことを日課としよう。
それが、葛飾北斎へ類を及ばさずに死んでいった親友への供養でもあると考えた。「日祈除魔」と題した葛飾北斎の気持には、そんな思いが込められている、と私は思う。
(『北斎の隠し絵』第六章『獅子の図』を描いた背景」より)
(波線は編集部による)
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吉川 竜実さんプロフィール
神宮禰宜・博士(文学)
皇學館大学大学院博士前期課程修了後、平成元(1989)年、伊勢神宮に奉職。平成2(1990)年、即位礼および大嘗祭後の天皇(現上皇)陛下神宮御親謁の儀、平成5(1993)年第61回式年遷宮、平成25(2013)年第622回式年遷宮、平成31(2019)年、御退位につき天皇(現上皇)陛下神宮御親謁の儀、令和元(2019)年、即位礼及び大嘗祭後の天皇(今上)陛下神宮御親謁の儀に奉仕。平成11(1999)年第1回・平成28(2016)年第3回神宮大宮司学術奨励賞、平成29(2017)年、神道文化賞受賞。
通称“さくらばあちゃん”として活躍されていたが、現役神職として初めて実名で神道を書籍(『神道ことはじめ』)で伝える。
知っているようで知らないことが多い「神道」。『神道ことはじめ』は、そのイロハを、吉川竜実さんが、気さくで楽しく慈しみ深いお人柄そのままに、わかりやすく教えてくれます。読むだけで天とつながる軸が通るような、地に足をつけて生きる力と指針を与えてくれる慈愛に満ちた一冊。あらためて、神道が日本人の日常を形作っていることを実感させてくれるでしょう。
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