創業30周年感謝祭レポート:吉川竜実さん

創業30周年感謝祭

「神道」とははるか昔、日本で自然発生した自然や神さまを崇敬する信仰のこと。創業30 周年感謝祭では伊勢神宮の現役神職である吉川竜実さんが異例のご登壇!「神道」についてお話いただいた一部をご紹介いたします!

吉川 よしかわ竜実たつみさんプロフィール

伊勢神宮禰宜・博士(文学)神宮徴古館・農業館館長、式年遷宮記念せんぐう館館長、教学課主任研究員。2016年G7伊勢サミットにおいて各国首相の伊勢神宮内宮の御垣内特別参拝を誘導。通称“さくらばあちゃん”として活躍されていたが、現役神職として初めて実名で神道を書籍(『神道ことはじめ』)で伝える。

神は動き、遍満する

日本人は「神は動かれる」という神観を持っています。祇園祭りも山車で神々は動かれますよね。式年遷宮における最高潮の神事でも、神は古い御殿から新しい御殿へと動かれます。

こうした神観は、神ははるか彼方の存在であるとする唯一絶対神を信仰する方々には、なかなか理解されません。英訳しても神ではなくご神体として「“シークレットミラー”が動いた」としか訳されないのです。

この「神は動かれる」という神観を最も如実に説いていると思われるのが、柳田国男氏(※1)です。
(※1)柳田国男・・・「日本民俗学」創始者、民俗学者、思想家

日本の神々は春になると山宮から里宮へ降りてこられ、秋まで里に留まって人々の稲作りを見守られます。そして収穫された米や酒で豊穣を人々と一緒に祝うと里宮から山宮へ神送りの祭りで送られていき、山宮から天へと戻られ翌春まで霊力を養われます。

これが柳田氏が説かれた「神は循環される」という信仰ですが、おそらく我々の祖先の時代は一般的な信仰として多くの方がこのような感性をほのかに持ち合わせていたと思われます。

そのため神の循環に重ね合わせるように我々の先祖の御霊も、正月と盆にふるさとの家と近くの秀麗な山とを往来すると考えられていました。

さらに、人の霊魂もまた、生死という「顕し世」と「幽り世」を繰り返し循環すると信じられ、人々は死後もその霊魂は天国へは行かず、国土を離れず子を近くで見守る存在になると思い定めていたようです。これが日本人の他界観と霊魂観ですね。

もう一つ大事なことは、仏教の六道輪廻のように邪や鬼や獣などに生まれ変わってやり直すことはなく、人は人として、それも同一の種族や血筋として生まれ変わると信じられていたことです。そのため古く沖縄では赤ちゃんが男の子であれば亡くなった祖父の名前をつけ、女の子であれば亡くなった祖母の名前をつけるという風習もありました。

つまり時代が進めば進むほど霊格が進化していくわけですから、親よりも子どもの方が社会的な地位など関係なく霊格が上であるという霊魂観を昔の人は一般的に持っていたようです。

「今」を生きるとは何か。

循環するということは、日本人にとって神々は決して遠い存在ではなく、「神々は動かれて人々とともにある」ということです。そして自然も含めて、すべては循環する一つのコスモロジーとして日本人は捉えていました。

最後に、忘れないでいただきたいことは、過去、現在、未来という時空も循環する一つの「円環」と捉えていたことです。過去の祖先たちに感謝し想いを馳せ、愛すべき未来の子孫たちの幸せを切に願いながら、すべてを包括した円環の一点が、「今ここ」なのです。

自分だけのものではないその「今」をどう楽しく生きるか。それは私たちにとって、とても大切なことなのでしょう。

どうか、今を“自分で選択して生きている”という自覚をお持ちになって、今日という日を少しでも楽しくお過ごしになっていただけたら幸いです。
(文責:重清京子)

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