伊勢神宮の禰宜・吉川竜美さんに学ぶ 神道の「言霊」

「神道ことはじめ」コラム

「私たちは言霊の使い手である」
その自覚を持つ大切さを、今回の吉川さんのお話から教わりました。

吉川さん:今でも人生の門出といわれる卒業式や結婚式などめでたい席では縁起の悪い言葉は控え、縁起の良い言葉だけを使うという風習が一般的に行われています。

これはプラス発想の言葉は肯定的な喜ぶべき現実や結果をもたらし、逆にマイナス発想の言葉は否定的な悲しむべきものを引き寄せてしまうと信じられてきたからだと思います。
このような考え方の基層には未だに「言霊(ことだま)」という古い信仰が生き生きと根付いているのでしょう。

今から約1300年前に編纂された『万葉集』に山上憶良(やまのうえのおくら)が詠んだ次のような相関歌(※)の一節が載せられています。

※「相関歌」…男女、または継子、兄弟、友人などの間の、恋慕あるいは親愛の情をのべた歌。

神代より言い伝えて来(け)らく そらみつ 倭の国は
皇神(すめかみ)の 継(いつく)しき国

言霊(ことだま)の
幸(さき)はふ国の 語り継ぎ
言い継がひけり

上記に「言霊」とありますが、現代科学の世界でも言葉はエネルギーであるといわれている通り、昔から人が発する言葉には物事を現実化する力が宿っているとされてきました。

ただし言葉を発するだけでなく物事が具現化する、つまり言霊の発揚を期待するにはとても大切なことがあるようです。
それは、ただ単に言葉を発したから叶うと言うものではなく、そこには強い想いや深い祈りが前提にあるということが重要なポイントと言えそうです。

同書には柿本人麻呂(かきもとのひとまろ)の次のような長歌の次のような一節も見られます。

葦原の 瑞穂の国は 神ながら
言挙げせぬ国
しかれども 言挙げぞわがする
まさきくませと

この一節から、わが国にはむやみやたらに物事に対して言葉にしないという伝統的な風習や営みがあり、日本人にはそうした慎みの念や感性を強く持っていたと伺えるのです。

しかし、それでもなおあえて言葉にするのは、そこに切実な想いや深い祈りがあればこそではないでしょうか。
どうか無事で幸いであってほしい!
おそらくそうした切実な想いや強い祈りの発露として、あえて言葉にし歌に託したのでしょう。

この行為は、わが国風(くにぶり)の五段調の調べに言葉の響きを乗せるということにつながるわけです。このような言霊の響きや歌の調べには、人々の想いや祈りを乗せて、神々や人々のもとへと運ぶ大きな効用があるとされてきました。

中でもその想いや祈りを込めて柔和な響きを存する大和言葉を多用して奏上される祝詞や、優雅な調べに合わせて舞われる御神楽によるものは、とりわけ神々の世界や根の国(原因の世界)への通りもよく具現化しやすいと考えられてきました。

現代科学でも言葉の響きや調べにも固有の振動数があり、その振動が現象と共鳴して現実化すると言われているのです。

吉川 よしかわ竜実たつみさんプロフィール
皇學館大学大学院博士前期課程修了後、平成元(1989)年、伊勢神宮に奉職。
2016年G7伊勢サミットにおいて各国首相の伊勢神宮内宮の御垣内特別参拝を誘導。通称“さくらばあちゃん”として活躍されていたが、現役神職として初めて実名で神道を書籍(『神道ことはじめ』)で伝える。

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