神道ことはじめ 特別連載  「縄文文化と神道Vol.3 -棲み分け-」

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神道の起源をたどると、縄文文化に行き着きます。その精神性は日本文化の根底で脈々と続いていて、自覚される機会を待っているのかもしれません。シリーズ3回目の今号では、自然と人、人と人の共生をはかるのに大切な「棲み分け」の知恵について紐解いていただきます

吉川さん:1万年以上続いた縄文文化は、地域的に大きく北日本・東日本・西日本・南日本に区分され、技術的な面からもかなりの時間差のあったことが認められるため、一括して捉えて論じることは難しく思われます。

しかし現在、縄文文化における時代区分は概ね次の6つの時期にわけて捉えられています。この中で最も縄文文化が高揚したのが中期であり、地域によっては100棟以上の住居を有する大型の集落が形成され、人口も全国で26万人を超えました。

躍動的で大胆な文様がつけられた土器や国宝の「縄文のビーナス」と名付けられた土偶等が作られた時期です。一般の人々が縄文文化に抱かれるイメージはこの中期にあたっているといっても過言ではないでしょう。

ところで、縄文文化は弥生文化に比較すると、全体として個人や集団での関係性は平等意識が強く非常に穏健で平和的でした。

縄文の社会では、狩猟や採集といった生業にかかわる一定のテリトリー(半径約5キロメートル)を有する単位集団(30〜50人の人口が暮らす住居数10棟程度の集落)が数限りなく形成され、それらのテリトリーの調整は諸々の単位集団の間で相互的な理解と承認とによって維持されていました。

この原理のことを「棲み分け」といいます。この「棲み分け」は、縄文から弥生へと移行・併存する際にも適合されました。

先住民である縄文人は後から入植して来た弥生人とできるだけ争うことはせず、平野部や河川の下流地域で暮らしていた人々は、すみやかにそこを引き渡して山間部や上・中流域へと移動し暮らしを営みはじめたと考えられるのです。

このように縄文文化では、人と人との単位集団における「棲み分け」や弥生人との「棲み分け」も行われましたが、人と自然との「棲み分け」も存したことは重要です。

つまり奈良時代の養老年間(723年頃)成立の『常陸国風土記ひたちのくにふどき』に、第26代継体けいたい天皇の御代に箭括やはずの麻多智またちと呼ばれる人が新田を開墾するにあたり、夜刀やつの神と激しく争い「山の麓から上は神の領域とし、その下からは人の領域として」人と神(=自然)とが「棲み分け」の契約を交わしたことが記されています。

一般的に継体天皇の御代は古墳時代に相当しますが、この「棲み分け」という原理は、おそらく遠く縄文文化まで遡ることのできるすばらしい暮らしの知恵ではないかと思います。

吉川 よしかわ竜実たつみさんプロフィール

伊勢神宮禰宜・神宮徴古館・農業館館長、式年遷宮記念せんぐう館館長、教学課主任研究員。2016年G7伊勢サミットにおいて各国首相の伊勢神宮内宮の御垣内特別参拝を誘導。通称“さくらばあちゃん”として活躍されていたが、現役神職として初めて実名で神道を書籍(『神道ことはじめ』)で伝える。

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