歴代の天皇陛下に代って天照大御神に仕えるために選ばれた斎王。今号と次号では、伊勢神宮で最も由緒深い「三節祭」に神宮に赴き、神々を祀られた斎王にまつわるお話をご紹介いたします。
野の宮に、久しく侍りける比、夢の告ありて、
太神宮へ、百首の歌読みて奉りける、
いすゞ川頼む心は濁らぬをなど
渡るせの猶淀むらむ
祥子内親王
(『新葉集』より)
吉川さん:第10代崇神天皇朝の豊鍬入姫命から第96代後醍醐天皇朝の祥子内親王まで76代を数えた斎王は、未婚の皇女から選ばれていました。
斎王に任命されると、宮中の初斎院と都の郊外にある野宮で精進潔斎(飲食を慎み、 身体を清めて、けがれを避けること)したのち、3年目の秋に都から遠く離れた伊勢の斎王宮(内宮から約15㎞、外宮からは約11㎞の地点にあった)に移り住まれます。
そして神と人との架け橋として皇室と国家の平安と繁栄をひたすら願われて神々への祈りを捧げる日々を送られました。
古く斎王は6月と12月の月次祭、9月の神嘗祭とあわせて年中3度の奉幣奉仕のため神宮に参向なされました。
この参向にあたり、前月晦日には禊を行われ、斎王宮において普段よりも増して厳重なる斎戒生活をお過ごしになられたといいます。
月次祭が行われる6月15日になると、斎王は斎王宮をご出発になり、宮川左岸にある小俣の離宮院(内宮からは約10㎞、外宮からは約6㎞離れていた)にお入りになられ、翌16日には外宮へ参向され奉幣に奉仕なされると、いったん離宮院にお戻りになられました。
そして17日には内宮へとご参向、無事に奉仕なされると、再度離宮院にお帰りになり、18日には斎王宮にご帰着になられました。
両正宮中重の斎庭にある四丈殿と呼ばれる殿舎は、かつて斎王候殿とも呼ばれ、斎王が月次祭奉幣において使用された殿舎です。
それを仰ぎ見る時、自ずと時を超えて古の斎王がそこに侍られた尊き御姿を想い起こさずにはいられません。
伊勢に、斎宮おはしまさで、年へにけり、
斎宮、木立ばかり、さがと見えて、
つい垣もなきやうになりたりけるを見て、
いつか又斎の宮のいつかれてしめの
みうちに塵をはらはむ
西行
(『山家集』より)
吉川 竜実さんプロフィール
皇學館大学大学院博士前期課程修了後、平成元(1989)年、伊勢神宮に奉職。
2016年G7伊勢サミットにおいて各国首相の伊勢神宮内宮の御垣内特別参拝を誘導。通称“さくらばあちゃん”として活躍されていたが、現役神職として初めて実名で神道を書籍(『神道ことはじめ』)で伝える。