神道ことはじめ 特別連載  「縄文文化と神道Vol.6 -土器1-」

「神道ことはじめ」コラム

神道の源流、縄文文化。荘厳な自然界のあらゆる存在に神性を見出し、讃えて生きる、その精神性は今も私たちの中にひっそりと息づいています。
連載6回目のテーマ「土器」では、衣食住に託した遠い祖先たちのメッセージを紐解きます。

吉川さん:縄文文化を象徴するモノといえば、誰もが「土器」を想像するのではないでしょうか。

「縄文土器」という名称は、明治12年(1879)年にE・S・モースが東京都の大森貝塚出土の土器の中に縄を用いて文様を施したものがあるのを発見し、文様のないものも含めて「cor縄でd marked文様をつけた potte土器ry」と総称したことに起因します。

その「cordコードmarkマーク」をはじめは「索文さくもん」、後には「縄文」と訳されることとなって縄文土器の名称が一般化されたといわれています。

縄文土器の出現によって、旧石器時代と比べて食物を長時間煮込むことが可能となり堅い食材の部位を柔らかくしたり、肉や野菜、魚や貝などさまざまな食材を組み合わせて鍋やスープといった煮込み料理が作れるようになりました。

またトチやドングリ・クリなどの堅果類のアク抜きにも利用され、食料資源が飛躍的に拡充されました。

それから衣服の素材となる植物繊維を熱湯につけ柔らかくし紡績しやすくしたり、或いはアスファルトを溶かしたりうるしを精製するためにも活用され、更には染料や顔料も縄文土器を使用し焼成・煮沸して作られるようになりました。

縄文土器の表面につけられた文様は、ヘラ状の工具で線を描いた沈線ちんせんや粘土紐を貼り付けて線状に隆起させた浮線ふせん隆起線りゅうきせん、棒状のもので点状に突き刺した刺突点などを織り交ぜて構成されています。

そしてその製作期と型式については、草創期には丸底深鉢土器、早期には突底深鉢土器、前期には平底深鉢土器、中期には火焰かえん型土器に代表される豪華な大型土器、後期には注口ちゅうこう土器など実用性が重視された小型土器、晩期には亀ケ岡式土器のような芸術性を含む小型で精巧な器系土器が主流となっています。

ところで、縄文土器が芸術的評価を受けるようになったのは、1970年の大阪万博のテーマプロデューサーで巨大モニュメント「太陽の塔」の制作者であった岡本太郎氏が「四次元との対話―縄文土器論―」(1952年執筆)で大絶賛したことにはじまります。

岡本氏は前年秋に東京国立博物館で展示されていた縄文中期の火焰型土器を見て電撃的な感動を覚えたといいます。

おそらく考古学者たちは燃え立つ炎のイメージから火焰型土器と名付けたと思われますが、しかしながら岡本氏はまったく逆のインスピレーションを抱かれ「縄文人は深海を知っていたんだ」と語られたといいます。

この岡本氏の卓越した感性には、『古事記』の大国主神の国譲りの段における、櫛八玉神くしやたまのかみと化し海底の赤土を採取して「天の八十毘良迦やそひらか(=土器)」を製作し、調理した魚料理を盛って大国主神に献じられた神話を想起せずにはいられないのです。

         火焰型土器

吉川 よしかわ竜実たつみさんプロフィール

皇學館大学大学院博士前期課程修了後、平成元(1989)年、伊勢神宮に奉職。
2016年G7伊勢サミットにおいて各国首相の伊勢神宮内宮の御垣内特別参拝を誘導。通称“さくらばあちゃん”として活躍されていたが、現役神職として初めて実名で神道を書籍(『神道ことはじめ』)で伝える。

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