先人たちが残してきたさまざまなアートには、調和と共生の象徴でもある縄文的感性を覚醒させる手がかりがあるようです。そこで世界的にも突出した浮世絵師・葛飾北斎の「富嶽三十六景」を題材に、日本人の精神性を縄文に遡って探究していた岡本太郎の芸術論を交えつつ、内なる「縄文的感性」の覚醒に向けて働きかけてまいりましょう。
吉川さん:いずれにしましても、先の『武州玉川』には山形の幾何学的文様が内在され、また『諸人登山』には右回りのお鉢巡りが描き出されていることからすると、右回転の渦巻き文様が検出できると見て良いようです。
また両絵画とも三分割画面(遠・中・近景や上・中・下段)で構成されていることも認められます。従って、どうやら『富嶽三十六景』における数多くの絵画からは幾何学的な文様をはじめ「三」による分割構成等が内在されていると考えてほぼ間違いないと思われます。
北斎は、なぜこのような幾何学的な文様や「三」という数字にこだわったのでしょうか? おそらく縄文の人々が好んで用いた「幾何学的文様や数字」という、一万年にもおよぶ日本人の感性や本能(=「縄文意識」によるモノヅクリの観念)に、その理由と淵源があったのではないかと思われてならないのです。
ちなみに『武州玉川』と『諸人登山』を一対にして鑑賞されるにあたっては、岡本太郎も興味があったと見られる富岡鉄斎(1837〜1924)が描画した『富士山図屏風(右隻・左隻)』を併せてぜひともご覧いただきたいと思っています。
当屏風は、「東洋のセザンヌ」とも呼ばれた日本最後の文人画家・鉄斎が明治八年に経験した霊峰・富士の登拝をもとに描かれており、この4点を併せ観ることで、より深く縄文的な感性が湧き上がってくることでしょう。
眺めていると「縄文的感性」が湧き上がる 4つの名画
吉川 竜実さんプロフィール
皇學館大学大学院博士前期課程修了後、平成元(1989)年、伊勢神宮に奉職。
2016年G7伊勢サミットにおいて各国首相の伊勢神宮内宮の御垣内特別参拝を誘導。通称“さくらばあちゃん”として活躍されていたが、現役神職として初めて実名で神道を書籍(『神道ことはじめ』)で伝える。